「29」、という数字には特に強い思い入れや感情があるわけじゃない。28が終わればやってくる数字で、素数の一つ。
トントン。こんにちは。いらっしゃい。それじゃ、さよなら。バタン。
そんな風にやってきては去っていく数字たち。
今日、私は29歳になった。
何人もの友人や同僚が「おめでとう」とメールを送ってきたり、あるいは密やかにサプライズ・プレゼントを届けてくれたりして、私は自分が思っていた以上にその事実を嬉しく思っていることに気づく。
私自身は、誕生日、というものをそれほど大きくとらまえてはいなかった気がする。確かにいつもとはほんの少し意味合いが違う一日ではあるけれど、日常の続きだから。だから、私は本当に他人の誕生日だとか、記念日だとかを覚えるのが苦手で、けれどそんなのは本当に大した問題じゃないと思っていた。
けれど、そんなのは言い訳だ。
覚えるのが苦手なら、メモをしておけばいいだけの話だったんだ。陳腐に聞こえるかもしれないけれど、本当に「気持ち」で左右できる類のものなのに。馬鹿だな、私。本当に馬鹿だ、ようやくそんな簡単な事に気がつくなんて。
素直に「誕生日、おめでとう」と言うだけの事に気づくのに、どうして私はこんなにも回り道をするんだろう、と考えたら泣けちゃうぐらい情けないけれど、まぁ、それが結局私なんだから仕方ないよな、と思う。気づけただけ良かった。
私は、その人がその日に産まれたからこそ私と出会えた事を嬉しいと思うし、彼女が(あるいは彼が)その日まできちんと生きて私と出会ってくれたことを祝福したい。
その事を私は伝えたい、と思います。伝えてくれた彼女や彼の想いが私は本当に本当に嬉しかったから。
ありがとう。
お誕生日おめでとうございます。
一年に一日くらい、
個人単位が手放しで祝福してもらえる日ということで、
素直にめでたい!と思います。
さらに、また一年、生き延びられたという意味でもね。
というわけでおめでとうございます。
深夜の仕事場より。