GODIVAのチョコレイトをプレゼントされました。
こういう、ちょっと意外な贈り物が好き。
バレンタインだから、女性からチョコレートをあげるとか、ホワイトデーだから、おかえしにクッキーをあげるとか、そういうところからちょっと外した感じが好ましい。
デザインが素敵なパッケージや、ラッピングの贈り物は、それだけで幸福な気分になる。
チョコレートの贈り物といえば…
江國香織氏の「いくつもの週末」の一節を思い出す。
私はチョコレートが好きで、おいしいチョコレートはいつもらっても嬉しい。でも、それだけじゃなく、きれいな箱に入ってりぼんをかけられたチョコレートは、それだけでなにか「特別」な感じがする。幸福の象徴。愛の贈り物。
幸福の象徴とも、愛の贈り物、とも私は別に思ったりはしないけど、なんとなく、薔薇の花束とか、靴とか、鞄とかをもらうより、比較的ずっと覚えていられる気がする。
恋愛にまつわる約束はたいてい無意味で、たとえばほかの人と恋をしないでほしいと言ったところで無駄なのはわかっている。そういうことになってしまえばなってしまうに決まっているし、約束なんかのせいでその機会をのがしてほしくもない。でも、たとえ誰か特別な人に贈り物をすることになったとしても、チョコレートを避けることはできるのではないかと思う。小ぎれいな焼き菓子にするとか、花束にするとかすればいいのだ。そのときの誠実さの方が、私にはよっぽど信用できる。
こういう考え方は、全然悪くない。恋愛においての約束やぶりを責める言葉というのはどうして、ああも情けなくて卑しいんだろう。「あの時、好きだと言ったのに」とか「あの時のあの言葉は嘘だったの」「裏切った」とかそういった類の言葉。
感情が言葉なんかで永遠に保証されるわけがないのに。