昨日、部分的に訳した村上春樹氏のスピーチですが、全文が出ました。
Always on the side of the egg – Haaretz – Israel News
いくつか、全文和訳も出ているのですが、自分の中で一番しっくりくるには、自分で翻訳するのが一番、ということで全訳してみました。あまり英語は得意ではないのですが、英語全文を読んで、涙が出たので勢いにのって。翻訳って難しい…。
ではどうぞ。間違いがあればご指摘ください。
090219 10:00
少々、文章がおかしいところを手直ししました。
090221 9:39
修正しました。
- grasp a truth in its original form …「真実を本来の姿からつかみ出す」→「真実を本来の姿でつかみ出す」
- When he was in graduate school…「学校を出てから」→「大学院にいたとき」です。
- Staring at his back as he knelt at the altar…「仏壇の前に星座している父の後ろ姿が輝いてる」→「仏壇の前に正座している父の後ろ姿を見ていると」
村上春樹「エルサレム賞」受賞スピーチ(全文和訳)
僕は今日、小説家として、エルサレムにやってきました。
つまり、嘘を紡ぎ出すプロとして。
もちろん、小説家だけが嘘をつくわけではありません。
政治家だって、嘘をつきます。
ご存じのように。
外交官も、軍人でさえ、時には嘘をつくし、
中古車のセールスマンや、精肉屋のおじさん、大工の棟梁だって、嘘はつきます。
けれども、小説家の嘘が彼らの嘘とは違うのは、
小説家が嘘をついたからといって、
不道徳だ、と非難する人はいない、
ということです。
嘘が大きければ大きいほど、巧みに嘘をつけばつくほど、
小説家は世間や批評家たちに賞賛されることになります。
どうして、そうなるのでしょうか。
僕が思うに、
つまり、上手な嘘をつく(要するに、嘘を真実に見せる)ことによって、
小説家は、新しい場所に真実を引き出し、
新しい光を当てることが出来る、ということなのかもしれません。
たいていの場合、
真実を本来の姿でつかみだしたり、
正確に表現するなんてことは、
実際にはほとんど出来ません。
だからこそ、僕たち小説家は、
その隠れ場所から真実を誘いだし、
その尻尾をつかもうとしています。
真実を創作の場に持っていって、
架空の話に置き換えようとしているのです。
けれども、これをやり遂げるためには、
僕たちは真実が自分たちの内側のどこにあるのかを
明らかにしなくてはいけません。
これは、上手な嘘をつくためには、
とても重要だし、必要なことです。
ただ、今日、僕は嘘をつくつもりはありません。
出来る限り、正直でいようとしています。
僕が嘘をつかないと誓うなんて、
年に数回あればいい方ですが
今日がその日なのです。
ですから、僕は真実を語ろうと思います。
たくさんの人が、
エルサレム賞を受賞するために、この地に来ないよう
僕にすすめたし、、
何人かの人は、もし行くのであれば、
僕の小説をボイコットする運動をおこすと警告すらしました。
もちろん、その理由はガザで起きていた紛争のためです。
包囲されたガザの街で、1000人以上が命を失い、
そのうちの多くが武装していない市民、
つまり子どもと老人だったと国連が報じていました。
今回の受賞の知らせを受け取った後、
僕は、「こんな時期にイスラエルに行って
文学賞を受賞するのが適当なことなのだろうか」、
「そのことで、僕が紛争の片側についたとか、
圧倒的な軍事力を解き放つことを選択した一国の政策を支持した、
という印象を与えないだろうか」
と、自分自身に何度も問いかけてみました。
もちろん、僕はそんな印象を与えたくはありません。
僕は、どんな戦争にも反対だし、
どの国の側につくつもりもありません。
もちろん、僕の本がボイコットされるのも見たくはない。
けれども、僕は慎重にこの件について考えた後、
最終的には、ここに来ることを決めました。
その理由の一つが、
あまりにも多くの人が
僕にそうしないようにアドバイスしたからです。
多分、他の多くの小説家と同じように、
僕はどちらかというと、
人に言われたこととは全く反対のことをやりたがる方なのです。
もし、誰かが僕に
「そこへ行くな」「そんなことをするな」
と言ったり、特に、警告したりするのであれば、
僕は、「そこへ行く」し、「それをやろう」とします。
それが僕にとっては自然なことだし、
あるいは、小説家だからこそ、なのかもしれません。
小説家とは特別なグループなのです。
僕たちは、自分の目で見たり、自分の手で触れていないものを
簡単に信じることはできません。
だからこそ、僕はここにいます。
僕は、近寄らないことよりも
ここに来ることを選びました。
そして、何も見ないようにすることよりも、
自分自身の目で見ることを選びました。
何も言わないでいるより、
ここに来て皆さんに話すことを選んだのです。
僕は、政治的なメッセージを伝えるために、ここに来たわけではありません。
もちろん、善悪について判断をすることは、
小説家の最も重要な義務の一つではあるけれど。
ただ、そういった判断を他人に伝えようとする時、
どういう形にするかは、それぞれの書き手にゆだねられてしまいます。
僕は、僕自身の判断というものは、
現実離れした小説の中に置き換えたいと思っています
今日、僕は直接的な政治メッセージを伝えようとして、
皆さんの前に立っているわけではないのです。
けれども、僕がとても個人的なメッセージを伝えることを
どうか許してください。
僕が小説を書く上で、
いつも気を付けていることがあります。
わざわざ紙に書いて、壁に貼ったりはしないけれど、
それは僕の心の壁のなかに刻み込まれています。
それは、
「高く硬い壁とその壁にぶつかって砕ける卵との間で、
どちらの側につくかと問われれば、
僕はいつだって卵の側につく。」
ということです。
どんなに壁が正しくて、
どんなに卵が間違っていたとしても、
僕は卵を支持するでしょう。
何が正しくて、何が間違っているかを
誰かが決めなくてはいけないのかもしれない。
おそらく、時や歴史がそれを行うでしょう。
けれども、たとえどんな理由があろうとも、
壁の側に立っている作品を書く小説家がいたとしたら、
そのような作品にどんな価値があると言うのでしょう。
この暗喩の意味とは何でしょうか。
いくつかのケースにおいては、簡潔で明快です。
爆弾や戦車、ロケット弾や白リン弾こそが、
高く堅い壁なのです。
卵とは、つぶされ、焼かれ、撃たれてしまった
武装していない市民のことです。
これが、暗喩が意味するところの一部です。
しかし、全てではありません。
ここには、もっと深い意味がこめられています。
このように考えてみてください。
多かれ少なかれ、僕たち一人一人が卵なのだ、と。
それぞれが、壊れやすい殻に包まれた、個性的でおきかえのきかない魂なのだと。
この事が、僕にとっての真実であり、
皆さん一人一人の真実なのです。
僕たちはみんな、程度の差はあるにしろ、
高くて堅い壁に直面しています。
その壁こそが「システム」です。
システムは、本来僕たちを守るべきものではあるけれど、
時には、システムが独り歩きをし、
僕たちを殺し始め、そして、僕たちが人々を殺すように仕向けます。
冷酷に、効率的に、そして、システマティックに、です。
僕が小説を書くたった一つの理由は、
個々の魂の尊厳を、
表面にすくいあげ、
そこに光をあてるためです。
物語の目的は、
システムが、僕たちの魂を蜘蛛の巣のようにからめとり、
卑しめようとするのを防ぐために、
光を当て、警告を鳴らすためです。
そして、それこそが小説家の仕事なのだと僕は疑うことなく信じています。
生と死、そして愛、
あるいは人が涙を流し、恐怖に震え、笑う物語を書くことによって、
個々の魂は唯一のものなのだ、ということを
明らかにし続けることが。
僕の父親は、昨年、90歳で亡くなりました。
父は教師を辞めてから、
時々、僧侶としてやっていました。
大学院にいた時、
父は軍に徴兵され、
中国の戦いに送られました。
戦後に生まれた僕は、
毎朝、父が食事の前に、
仏壇の前で長く拝んでいるのを見るのが日課でした。
ある時、僕が父に、なぜそんなことをしているのかと尋ねると、
父は、戦争で死んでしまった人のために祈っているのだ、と
答えました。
戦争で死んでしまった仲間も敵も同様に、
すべての人のために祈っているのだ、と。
仏壇の前に正座している父の後ろ姿を見ていると、
僕には父の周囲に死の影がまとわりついているような気がしました。
父は死に、僕が決して知り得ない、父だけが持つ記憶は、
父とともに去ってしまいました。
けれども、父がまとっていた死の存在感は、
僕の記憶の中に残ったままです。
これは、父について語れるほんのわずかな話の一つではあるけれども、
最も重要なことの一つです。
今日、僕が皆さんに伝えたいのはただ一つです。
僕たちは、みんな人間であり、
国家や、人種、地域を超えた個人なのです。
システムと呼ばれる、堅い壁と直面している壊れやすい卵です。
外から見た限りでは、
僕たちに勝てる見込みなどありません。
壁はあまりにも高く、強く、冷酷です。
もし、いくらかでも勝てる見込みが生まれるとしたら、
それは僕たち自身、あるいは他の人々の魂が
おき変えられない唯一のものなのだということを信じること、
そして、そんな魂をつなぎあわせることで得る暖かさを信じることでしか
生まれないでしょう。
このことについて、考えてみてください。
僕たち一人一人に、はっきりとした生きた魂があります。
システムには、そんなものはありません。
僕たちは、システムが僕たちにつけ込むのを許してはいけません。
システムが独り歩きをするのを許してはいけません。
システムが僕たちを作ったのではなく、
僕たちがシステムを作ったのだから。
これが、僕が今日皆さんに語りたかったことの全てです。
エルサレム賞をいただいたことに感謝します。
僕の本が世界のたくさんの地域の人々に読まれていることにも感謝します。
そして、今日、この場所で
皆さんにこうして話す機会が持てたことを
本当に嬉しく思っています。
【関連サイト】
村上春樹: 常に卵の側に
村上春樹スピーチ全文和訳Ver.1.2 – しあわせのかたち
【日本語全訳】村上春樹さん「エルサレム賞」授賞式講演全文 – 47トピックス
壁と卵 (内田樹の研究室)
昨日の記事を読んで「全文が出ました…」も読んで、今日のそらさん全文訳 ハルキ風を読みましたが
同じ事を言っているのに、一番今日のそらさんのがしっくりしました。
やわらかくて強くて心にすぅっと入り、とても解りやすかったです。
言葉の使い方や表現方法によって 納得したり、極端なことを言えば拒否反応をおこしたりするくらい違うこともありますね。
私の日頃の言動をふりかえらないと…。