もう数時間で今年が終わろうとしていますね。2016年はここ数年で一番濃密な一年でした。
振り返り
1月
2016年、お正月は結婚して初めて帰省せず。すでに安定期には入っていたものの、車に乗ると振動のせいか15分もせずにお腹が痛くなって張ってしまうため、とても無理という判断でした。2人(とお腹の中の子)だけで過ごすお正月はこれが最初で最後かも。
元旦にエキスポシティにお買い物に行って、初売りを楽しむも、3時間休み休み買い物をしたにもかかわらず、帰ってきてからお腹が痛くて痛くて横になってもなかなか痛みがひかず、結局3時間寝込む羽目に。。
その後もちょくちょくお腹が張って横になって終わったお正月。安定期なのに全然体調は安定せず、お腹は頻繁に張るわ、一週間に一、二回は吐くわ。後期づわりというやつですね。パパママクラスと言うやつにも行きましたが、帰ったらお腹が張って痛くて2時間寝込みました。
毎年、冬は温泉と蟹を楽しんでて、ちょっと近場の温泉でもと相方は考えてたようですが、それどころじゃなかった。
2月
赤子が大きくなってきたら内臓が圧迫されるようになってきて、吐く頻度が増えてきました。一週間に二、三回は吐いてました。膀胱が押されて頻尿で夜眠れず、むくみがひどくなってきたのもこの頃。蛋白プラスが出て血圧もちょっと高めに。妊娠高血圧症候群のような感じに。
へそのごまをとると、赤子がものすごく動いてボコボコ蹴ってくることが判明。NSTの最中、赤子がシーンとしてるのでなかなか終わらなかったため、こっそりへそを触ると突然グニョグニョ動き出して笑いました。へそを触られるのがとにかく嫌らしい(笑)
3月
出血があったり、破水のようなおりものがでて病院へ行く回数が激増。蛋白プラスも血圧も高め続行。肩と首の痛みが激しいので整骨院を予約しようとしたら、いつもの先生にリスキーだから無理、と断られました…!ショック!そらそうか。
陣痛がきての出産ではなく、管理入院からの出産だったので、予約しておいた陣痛タクシーは使いませんでした。
出産は、妊娠高血圧症候群でハイリスクだったため、周産期センターのセンター長、ドクター(主治医ではない)、さらにレジデントの先生2人、助産師さん、看護師さん、何かあったときのために小児科の先生と総勢10人ぐらいがバタバタ動いていて、正直「おもてたんと違う…」出産でした。
センター長がまたがってお腹をぐいぐい押してくるんですが、なかなか産まれず、赤子の心拍も落ちてきて、あと一回押して駄目だったら緊急帝王切開します!と言われたところ、ようやく赤子が引っ張り出されました。小児科の先生にすぐに託されたので、泣き声がしなくて、え、どうしたの、とちょっと不安でした。
立会い出産を希望していた相方は、最初は「ダンナさん出ててください!」と外に追いやられてて、中に入れてもらってからも私の周囲には医療スタッフだらけでほとんど近寄れず、「相方どこいったんや」と私は不安でいっぱいに。一応、1mぐらい離れたところにいたようです(笑)
後ほど、同じ日に出産した方に、うちは助産師さんとドクターだけですっと産まれました〜と聞いてびっくり。ちなみに、出産の場にいた小児科の先生に、退院時に「壮絶な出産でしたね」と言われたのが印象的でした。
退院してからは貧血と寝不足と痛みが続く最悪の体調で、怒涛の育児がスタート。退院後2週間後ぐらいに母乳外来の予約をしていたのでそれが終わってから里帰りしようと思っていたんですが、2日でギブアップ。相方が仕事に行ってしまったら私一人で育児できるのかとにかく不安で怖くて涙がでて、今おもえば若干産後うつっぽくなってた気がします。
そんなわけで里帰りして、父と姉に助けられて、なんとか育児をスタートしました。
4月〜5月
新生児は寝ないと聞いていましたが、こんなに寝てくれないとは…というぐらいうちの子も全然寝てくれない子でした。というか、夜も寝ない、昼も寝ない、のでどうして寝ないの、寝なくて平気なのあなたは、と逆に心配になるぐらい寝なくて、ただただ毎日辛かったです。
夜中もずっと泣いて寝なくて徹夜で朝を迎えて昼間も一睡もしなくて、思わず私まで泣けてきて、追い詰められてました。
情緒不安定な時期。
そんな中、金曜日に仕事が終わってから軽く家事をすませて、高速を使って相方が毎週末実家まで来てくれました。途中、SAで仮眠をとったりしながらも、必ず毎週来て、日曜には帰って。疲れていただろうに、それでも私を見兼ねて、夜勤を交代してくれました。(私は昼間眠れないたちだったので、逆に相方は眠れるので夜勤が終わったら昼間に寝てましたw)
よく里帰りをすると父親としての意識が育たないとか、そのせいで夫への愛情が急降下する産後クライシスになりやすいとか言われますが、離れていたけれど、夫は週末にしっかり育児して私を助けてくれました。
この時期、お互い育児初心者としてあの眠ってくれない赤子に対峙したせいか、ツライ時期を乗り切った(今もですけど)同志であるという思いは強いです。
6月
自宅に帰ってきてから、3人での生活に慣れるまでに時間がかかりました。とはいえ、夜は少しずつまとまって寝てくれるようになった赤子。寝てくれるだけで本当に体調が楽になることに驚くばかり。といってもまだまだ夜中に1〜2回は起きる日々。
7月
義母と父を呼んで自宅でお食い初め。かなり育児にも慣れてきて、赤子との外出をいろいろ楽しむように。ベビーマッサージや予防接種などなど。
8月
お盆に実家に帰省した後、離乳食をスタート。ちょうどこの頃寝返りもし始めて、動画にもばっちりおさめられました。
9月〜11月
離乳食をどんどんすすめていきましたが、一回食〜二回食になると、一日中離乳食のことを考えるように…。アレルギーも心配しつつ最近は早めにあげるほうがいいと聞くので、少しずつあげて様子をみて、いろんな旬の食材を試してあげて、様子見して。
12月
3回食になって、キッチンに立って何かをしている時間が格段に多くなって、へとへとに。赤子も自己主張が激しくなってきて、嫌なものはうーうー泣いて途中でストップすることも。お出かけもままならず、なかなかしんどい3回食。
今回の帰省の途中、外出時の離乳食にベビーフードを初めてあげて味見してみたら味が濃くてびっくり。赤子も食べてはいたけれど、最後らへんはあまり食が進む感じではなかったので、今後どうするかを考え中です。
ようやくおすわりがだいぶできるようになってきて嬉しいし、寝返り返りもできるように。
昨日できなかったことが、今日できるようになっていることも。赤子の成長って、人類の進化を見ているようでちょっと感動しますね。
まとめ
赤子ももう9ヶ月、赤ちゃんでいてくれるのはあと数ヶ月と思うと、ほっとするような、それでいてもったいないような、寂しいような…。そんなごちゃ混ぜの気持ちが胸の中でごうごうと渦巻いているのですが、その渦の中心にあるのはやっぱり赤子への愛おしさ。
それが無ければ1年乗り切れなかった、それぐらいしんどい1年でもありました。
一年間、相方との二人三脚は、最初はうまく息があわなくてもつれてころぶこともありましたが、今は「いち、に、いち、に」と声をかけあって、わりとうまく進めるようなりつつあります。
相方自身が本当は何を考えているのか私には知る由もありませんが、彼はいい父であろうと努力していましたし、実際とてもいい父親なんじゃないかな、と思います。私に対しても、ちょっと驚くほどの忍耐強さを発揮し、思いやりと優しさを見せてくれました。本当にありがとう。
来年はもう少し、私も余裕をもって育児をしたいと思うのですが、できるかな(笑)肩の力をもうちょっとうまく抜きたいのですが、肩の力を抜くにもわりと技術が必要なんじゃないかと思う今日このごろです。
それではみなさま、よいお年を。来年がよき一年になりますように。
大変お久しぶりです…て、定期的にこんなこと言ってますね(^^)
いやぁ本当にこの一年お疲れ様でした!
きっと いつまでも語り草になるのでしょうね。
頼もしいパパ・愛情たっぷりのママ
ゆるゆる頑張ってくださいませ。
今年もよろしくお願いします(_ _)