正論を盾にとって
批評したりする自分に吐き気がした。
黙っていられたら楽なのに。
他人のものを批評して、これはいいとか、こうした方がよくなる、とか
そういうのを言うのはもうしんどいの。
だけど、自分が携わる仕事にいい加減なものは残したくないと思うと
根本的な道筋から説明する必要があって
大事なのは、幅はあってもいいけれどそれをどのラインにたたせるか、ということと
どちらに向かって発信したいのか、ということ。
ばらばらなのは気持ちが悪い。
私にはコミュニケーション能力が明らかに不足していると思う。
うまく、チームの中にとけ込めないのだ、いつだって。
納得できない事を、納得できないまま黙ってやれないから疎まれる。
それを気にしないでいられたら、どれほどいいだろう。
だけど私はそんなに強くもなれなくて
それならいっそ何も言わなければと思うけど、
仕事だから、いいものにしたい、と堂々巡り。
帰ってきてから、ひどく落ち込んでいて、最近の私はもうダメだ。
ひたすら落ちている気がする。
シキ君が送ってくれたFreeTEMPOの「Love Will Bring You Back」を聞いていたら、すごくよくて、ふと気がゆるんだその時に、そんなに怒らないで、と言われて思わず涙がこぼれた。怒ってる自分がすごく嫌で仕方ないよ。私だって。
そういう時って
怒ってるんじゃないんだよね。
「真摯に伝えたい」という気持の強さは、
怒りの持つ強さと似ているから、
「真摯に伝えられる」ことに慣れていない人は
単にそれを怒りだと誤解するだけなんだと思う。
だから、むしろ、
受け手側に感受性というか、多彩な表現を
理解する能力がないということなんじゃ?
という気がします。
私も自分が関わる仕事が
いい加減なものになるのが厭で、意見を言ったり
つい、人の仕事までやってしまったり
誰かのやった失敗の始末をして体裁を整えたり、
ということをしてしまいます。
会社的には(システム的には)しなくていいことなのに。
でも、自分が不快であることを改善することが、
結局自分を幸福な状態にしてあげられるのは
わかってるので、
それに裂く時間や手間は気にならないし、
やっぱり、納得いかない状態を、そのまま
無視することは、できないです。
とはいえ、そういう自分に嫌気がさすことも、
葛藤する気持ちになることもあるので、
そらさんの鬱屈も、ちょっとだけわかるような
気がします。
どうか、せめて、
お休みの日には、ゆっくり深呼吸ができますように。