今年の夏には、二人の人間に「厳しい」という言葉をつきつけられた。
私は、ただ、きちんと物事に向き合いたいと…そう思っているだけなのに。
気づいていても、何も言わずににこりと笑って
「いいね」
「素晴らしいね」
と言うのが優しさなんだろうか。
今日の京都新聞の投稿欄に、「友人とファミレスに食事に行って、彼女はインスタントのみそ汁に『美味しいね』とにこりと笑った。スローフードとはそういうものだ。一緒に食べていて、「まずい」と言われると楽しくない。一緒に食事をして「美味しい」と言い合うのが大事」と言った主旨の事が書いてあって、憮然とした。
インスタントのみそ汁が美味しいと感じるのは全くかまわないけれど、
どれを食べても「美味しい」と言われると
味気なくって仕方ないよ。
本当に美味しいものを作る料理人と
煙草を吸いながら(大体煙草を吸う料理人は、私はプロとは言えないと思う。はっきり言って。
舌と嗅覚の感覚を麻痺させておいて?武器(=それは発想であり、味覚であり、嗅覚だ)を
自ら台無しにする人間を私は信用しない。)作るアルバイトのコックと、
同じ評価をするのは公正じゃない。
「作ってくれたものには、たとえ不味くても『美味しい』と言うべきだ。」と言う人が時々いるけれど、それこそ私は作ってくれた人に対する誠意が逆に足りないと思うのですが、どうなんでしょうか。不味くても嘘をついて、「美味しい」「美味しい」と言い続けるの?内心で不満を持ちながら、たまに友人に愚痴をこぼしたりして?
そんな優しさなんかいらない。
不当な評価は、上であっても下であっても必要ないの。
それが厳しい、と言われるのなら、
私は多分厳しいんだろうし、他人の痛みなどわからない人間なのだろう。
多分。
そらさんの意見に一票!
厳しいことって悪いことじゃないと思うし、
むしろ「いい加減なやさしさ」とか「甘やかし」
というのは人間も、関係も、駄目にすると思うんだけれど?