ちょっと前の記事でも話題にしましたが、こちらが高松丸亀町商店街です。ガラス張りのドームで、日差しが入ってきて明るく開放的な商店街です。
シャッター通りだった商店街の再生に成功した数少ない商店街で、中小企業庁:がんばる商店街77選にも選ばれており、これが以前テレビの「ルビコンの決断」で取り上げられました。
ルビコンの決断の内容は以下のブログに詳しくまとめられているので、詳しくはそちらを見ていただきたいのですが、まずこの再生プロジェクトは、丸亀商店街の一人の店主と、「まちづくりコンサルタント」の西郷真理子さん主導で行われました。
プランニング倶楽部:高松丸亀町商店街再生に学ぶ、シャッター通り商店街再生のプランニングヒント – livedoor Blog(ブログ)
当時の店舗構成は、50%がファッション関連のお店で、飲食店は2%しかありませんでした。また、金融機関が多いのも特徴的でした。 以前あった八百屋や魚屋などが殆ど無くなってしまったいびつな商店街でした。商店街は、業種が偏るとますます人が住み難くなり、商店街は寂れてしまうのです。
それを打開するために、コンサルタントである西郷真理子さんは驚くべき提案をします。
西郷さんが提案したのは、商店街の人で、街づくり会社を作り、その会社が主導して、店の配置を換えたり、足りない業種を誘致したりするという、商店街自らが新しいショッピングセンターを作るイメージのプランでした。
街づくり会社は、地主(商店主)さんから土地を借り、その土地をやりくりしてテナントに貸し、その地代を商店主(地主)に払うというシステム
商店主側は、「新しい商店街で商売を続ける」か「店を廃業して地代で生計を立てる」かの選択肢があるのです。
これは大きな反発を招きましたが、なんとか説得に成功。
最後まで、渋っていた商店主に対して明石さんが言った肩を押す一言は、「これからは、店の経営者ではなく、街を経営する側になろう、昔のようなぬくもりのある街にしていこう」でした。
こうして、ついに2004年12月 再開発工事着工し、2006年12月 最初のブロックがオープンしたのです。
明石さんは、自らの転身成功例を商店主たちに見せるため、靴屋からうどん屋に転身して、評判の店になっていたのです。商店街には、オンリーワンの店がどれだけあるかが、勝負の分かれ目となるのです。
何十年も続けてきたお店を廃業し、全く新しい店にするのはとても勇気がいりますし、何より思い出が失われてしまうような身を切られるような痛みを感じた店主の人も多かったでしょう。
けれど、そこで現状にとどまらず、町のためにと自分たちの身を削ってでも決断できたところが、他の商店街とは違って成功した理由なのではないでしょうか。
大型のスーパーに客をとられ、さびれていく一方の商店街は今後もどんどん増えていくのでしょうが、もし、そのスーパーが撤退あるいは廃業した時、買い物する場所がなくなってしまえば、特に、移動するのに不自由な高齢者は非常に困窮することになります。
そうなる前に、自分たちの生活圏内にある商店街の活性化を行い、人を取り戻したこの丸亀商店街やその他の商店街は、今、方向性が見えない地域の小さな商店街の大きなヒントになるかもしれません。
"シャッター通りだった高松丸亀商店街の再生プロジェクト – sorarium" http://t.co/BaxSDj6